2019年09月

こんばんは

先週の予報だと、土〜月は雨予報だったんですが、3日とも見事に晴れました。

そして、暑い。夏、再び。
昨日よりさらに上って32℃超えですってよ…!


夕方6時半すぎにクリーニング屋さんに行くのに、真っ暗だったけど、蒸し暑かったわ…



そして!今日は9月最終日!増税前最終日であります!!

ドンキに行きたいなー…とは思っていましたが

今日は運動会の代休。息子お休み。
行くわけないわなぁ…


と、いうことで
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公園に繰り出しました!

いつもは行かない、ちょっと遠いところ。
何気に初めてだったわ!

この大型遊具で遊んだり〜(何故か私も)

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木立の中を探検したり〜

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どんぐり見つけたり


が、虫に愛される男、

めっちゃ蚊にくわれた。

関東ではくわれたって言わない…刺された?


虫除け、めっちゃしたのに!!!

痒すぎてテンションダダ下り、
気温もぐんぐんあがってきて暑すぎるー!!
ってので、1時間くらいで帰路につきました

途中にあるガストで今日までのクーポン使って、ふたりでランチ
700円ちょっとでお腹も満足


帰ってきてお片付けするつもりが…


バテる。


暑さに弱いアラフォーであった…


明日から10月!

気分新たに頑張りたいと思います!!

こんばんは

今日は、昨日の疲れもあったので
(基本的に)1日のんびりしてました。

ガンガンにエアコンつけて。

最高気温31℃超えとは一体何なのか。

まだまだ夏が続くというのか…?

そろそろ電気代が落ち着いて欲しい…!!


そんな真夏日でも明日で9月も終わり。

増税ですね。

直前の駆け込み購買はしてないですが、

お昼ごはん食べたあとの主人の一言。

「明日でクールビズ終わるからー!長袖シャツどこー?」

……

!!!

クリーニング持っていく袋の中!!!!

(まだ持っていっていない)


灼熱の?太陽の下、自転車ぶっ飛ばして
クリーニング屋さんまで駆け込みましたよ。

仕上がりは明日午後6時半!!

…何とか間に合った…!!!


駆け込み購買ではなく、駆け込みクリーニングとなりました


ドンキの8%オフも行きたかったですが、
9月最終日の明日は息子の代休なので
もうちょっと喜ぶようなところに行くか(ドンキは喜ばない)
お家でおもちゃ三昧(誕プレがたくさん)したいと思います。


皆さま、悔いのない9月最終日をお過ごしください

こんばんは


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雨予報は跳ね除けて、日差しも垣間見える空の下、息子の幼稚園の運動会が無事に開催されました。

(運動会の写真はネット上にアップ禁止です)


昨年までは競技も演技もマイペースに本人なりに頑張っていましたが、今年はさらに「負けないように」頑張っていました。


大きくなったなぁ。


昨年の年長さんの保護者さんたちは
「こんなに大きくなって…(ヨヨヨ)」
と、涙されている方が多かったですが、

今年は会場全体が爽やかに笑顔満開で幕を閉じました。

いや、感動もしたんだけれども、それ以上にワクワク楽しんでる子どもたちがかわいく、一緒に楽しませてもらいました。


帰宅して(私は)ゆっくり休んで、夜はお誕生日パーティです
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箱から出したらズレてたよ


息子、お誕生日おめでとう!

素敵な1年になりますように!!

こんばんは

今日はムシムシ暑かったです

でも、明日のお天気はもちそうかな??

幼稚園最後の運動会(主人は初参加。しかも明日以外は行けない)、

午前中だけ何とかもってくれれば…!!(切望)



さて、重々しい話から、引越までの展開です。


そうかこれは毒親だったのか、と長年の答を見つけたようで、気持ちに少し晴れ間が見えました。

けれど、状況は全く変わっていません。

私の中で、「毒親とはもう暮らせない」という確固たるモノが出来上がり、
母の悪あがき(笑)は全て却下しました。
(悪あがき…「転勤で一緒に住めなくなっても近くにアパート借りてくれたらそこに住むから」→借りてくれたらって‌そんな余裕あるかいな。)

市営住宅等も募集のたびに申し込みましたが、全て落選。



ここで、動いたのは母の姉弟でした。


おじが保証人になり、賃貸物件を探すというのです。

きょうだいの中でおじだけが唯一現役であり(定年間近ですが)、支店長という肩書と、収入も我が家のはるか上。

不動産屋さんの信頼を得るには何より力強い援護射撃です。


何より、母は現在旧姓、おじと名字が同じなので血縁関係の証明が容易だったのです。

…この血縁関係の証明、
母と私は親子ですが、私の成人後に母は離婚したので、私の旧姓とは違います。

私の戸籍をたどっても父との関係しかなく、母が離婚により除籍した「除籍証明書」でしか親子関係が証明出来ず手続きで大変なことも数しれず。


でもおじならこれが簡単。
日本において、名字ってすごい信頼性ですね。。。



話が逸れましたが、8月のお盆に、母とおじで仲介業者をめぐり、何とか母の年金と貯蓄でも暮らせそうで母の言う「便利な」物件が見つかりました。


私は、ノータッチです。

おじおばから手伝えとも言われていません。


幼い頃から育ってきた姉弟。

母の性格も熟知しているのでしょう。


そして、おばもおじも「こどもには負担をかけない」人生設計をしています。

母をひとりで背負う私に、同情があったのかもしれません。


本当のことはわからないですが、母の独立計画に私は一切関わることなく、話は進んで行きました。


引越当日は私が自宅で業者さんの荷出し対応をし、主人が現地に車で母を送っていって、搬入は手伝ったものの、あとはおじおばに任せて帰宅しました。

役所への転入手続きはおばが付き添うそうです。介護やらなんやらの申請があるので、色んな窓口を回らなくてはなりません。


急に反旗を翻した私に対して何も言わず、高齢ながらも立ち上がって手を差し伸べてくれたこと、おじおばには本当に感謝しています。

ちなみに、引越してもうすぐ一週間ですが、今のところ何の連絡もありません。
便りがないのがいい便り、と思っておきます。


昨日、一昨日の自分の書いたエントリーを改めて読んで、
私も母と同じところが多々あるかもしれない、と我ながら思いました。
自分第一なところとか(笑)完全な嫌なやつやん(汗)


でも、将来、どんな状態になっても絶対にこどもたちにはしわ寄せが行かないよう、自分の老後に責任が持てるよう、また節約に励んで行きたいと思います。


と、いうわけで、明日からまた軽い節約家族日記を綴っていきます。


突然の重い内部事情を読んでくださった皆様、ありがとうございました。

【毒親】は特別な存在ではありません。

お互いに自覚がなくても、親子関係に難しさや生きづらさを感じているなら、親が【毒親】となっている、また自分がなっているかもしれない、一寸先は闇みたいなものではないかと感じています。

私もこどもたちにそう思われないよう自立した親でいられるよう、頑張りたいです。

こんばんは

今日はまさかの真夏日!
えぇーもう9月も終わりですよ!!
オバサン、体にこたえるわ…



さて…重々しい話ですが、昨日の続きです。


3月。
幼稚園で仲良くしてくれたママさんのお家が転勤になり、お引越しされたことで、我が家の今後について改めて考え、夫婦で話し合いました。

前回の転勤から1年。もう来年には次の転勤かもしれない。今の自宅から通えるかもしれないし、引っ越しかもしれない。

娘も高学年、引っ越すのは中学入学が最後のタイミングだろう。

一方、息子はようやく1年生。
パパと離れて暮らすのは、かなり寂しいだろうし、これからの成長が見えない主人もツラい。


そして、1番重要な住居費。
今、かなり無理めの家賃なので、単身赴任のダブル家計は無理。
このとき、家計はカツカツで貯蓄も思うようにできていませんでした。

私がフルで働いたとしても苦しく、かつ、こどもたちには両親とも忙しくなったらきちんと向き合えなくなる可能性もある。。。


次の転勤はついていこう。
宿舎に入れば、家計に余裕もできる。
私がフルでなく時短パートでも、今できてない分の貯蓄が取り戻せる…!



では、母はどうする??

今回の引っ越しで、要介護の移動はめちゃめちゃハードル高いと実感しました。

病院、施設、ケアマネさん、すべてのネットワークがイチからです。

自治体が違うので、やり方も何もかも違う。
お金も。

そして、そんな状況に1年たっても文句ばかり…


そもそも病院とか揃ってる地域に行くとも限らない。ど田舎かもしれない。

宿舎は3DKなので母に一部屋渡すのも難しい。

……
無理だ。


母に
「次の転勤も帯同するけど、あなたは連れていけない」
「とりあえずこのあたり施設の資料請求しておく」
と、宣言しました。

そして早速届いた資料、利用料は母の年金ではとても届かない…

「○ちゃん(私)には最低3万くらい出して貰えわないと足りないねー」

と、言い放ちました。


その瞬間、私の中の何かがついに壊れ、
この行き場のないドス黒い気持ちをどうにかしたいと、ネットで検索していたときに、【毒親】に出会いました。


どこのサイトで詳しくどう書いていたか、覚えていません。

ただ、列挙されていた毒親の条件?のうちに
・子に依存している(金銭的、精神的)
・子を自分の思いどおりにしようとする
・病気、精神病で自立できない

のように書かれていました。

え。うちの母やん。



上の2つは、生まれてからずっとです。
不仲で思い通りに行かない夫の分も母の「こうあるべき」を強いられていたし、それを当然だとも思っていました。


ある程度成長したら

仕事できないのも私のせい(幼い頃体が弱かった)
離婚できないのも私のせい(片親の子はいじめられるから)
病気の治療ができないのも私のせい(学費がかかるから)

あなたのせいで人生うまく行かないわ。


当たり前のように、言われていました。
申し訳ないとさえ、思っていたけれど

自分が就職して働いて結婚してこどもを授かって


そんなふうには思えない。
こどもは、自分が望んだ存在。
産んで育てる義務があるし、将来きちんとした大人になれるよう頑張りたい。どんなことしても支えてあげたい。

それはそうしたいからやるだけで、自分の人生のどんな理由にもならない。

(今は転勤生活に振り回してしまっていますが…!)


そして、最後の病気で自立できない

え、これも毒親…!?

要するに、周りから積極的に支えられる病人ではなく、
病気だからと周りにタカる(言い方悪くてスミマセン)、頼り切る、そして周りが疲弊する…
ことのようでした。

え、まさにうち。


そうか…毒親だったんだ。


何かが、すとんと落ちたような。
難しい数式の解き方を「理解」したときのような


なぜだか、状況は変わってないのに、ドス黒いわからないものが晴れていったように感じました。

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