こんばんは

今日はムシムシ暑かったです

でも、明日のお天気はもちそうかな??

幼稚園最後の運動会(主人は初参加。しかも明日以外は行けない)、

午前中だけ何とかもってくれれば…!!(切望)



さて、重々しい話から、引越までの展開です。


そうかこれは毒親だったのか、と長年の答を見つけたようで、気持ちに少し晴れ間が見えました。

けれど、状況は全く変わっていません。

私の中で、「毒親とはもう暮らせない」という確固たるモノが出来上がり、
母の悪あがき(笑)は全て却下しました。
(悪あがき…「転勤で一緒に住めなくなっても近くにアパート借りてくれたらそこに住むから」→借りてくれたらって‌そんな余裕あるかいな。)

市営住宅等も募集のたびに申し込みましたが、全て落選。



ここで、動いたのは母の姉弟でした。


おじが保証人になり、賃貸物件を探すというのです。

きょうだいの中でおじだけが唯一現役であり(定年間近ですが)、支店長という肩書と、収入も我が家のはるか上。

不動産屋さんの信頼を得るには何より力強い援護射撃です。


何より、母は現在旧姓、おじと名字が同じなので血縁関係の証明が容易だったのです。

…この血縁関係の証明、
母と私は親子ですが、私の成人後に母は離婚したので、私の旧姓とは違います。

私の戸籍をたどっても父との関係しかなく、母が離婚により除籍した「除籍証明書」でしか親子関係が証明出来ず手続きで大変なことも数しれず。


でもおじならこれが簡単。
日本において、名字ってすごい信頼性ですね。。。



話が逸れましたが、8月のお盆に、母とおじで仲介業者をめぐり、何とか母の年金と貯蓄でも暮らせそうで母の言う「便利な」物件が見つかりました。


私は、ノータッチです。

おじおばから手伝えとも言われていません。


幼い頃から育ってきた姉弟。

母の性格も熟知しているのでしょう。


そして、おばもおじも「こどもには負担をかけない」人生設計をしています。

母をひとりで背負う私に、同情があったのかもしれません。


本当のことはわからないですが、母の独立計画に私は一切関わることなく、話は進んで行きました。


引越当日は私が自宅で業者さんの荷出し対応をし、主人が現地に車で母を送っていって、搬入は手伝ったものの、あとはおじおばに任せて帰宅しました。

役所への転入手続きはおばが付き添うそうです。介護やらなんやらの申請があるので、色んな窓口を回らなくてはなりません。


急に反旗を翻した私に対して何も言わず、高齢ながらも立ち上がって手を差し伸べてくれたこと、おじおばには本当に感謝しています。

ちなみに、引越してもうすぐ一週間ですが、今のところ何の連絡もありません。
便りがないのがいい便り、と思っておきます。


昨日、一昨日の自分の書いたエントリーを改めて読んで、
私も母と同じところが多々あるかもしれない、と我ながら思いました。
自分第一なところとか(笑)完全な嫌なやつやん(汗)


でも、将来、どんな状態になっても絶対にこどもたちにはしわ寄せが行かないよう、自分の老後に責任が持てるよう、また節約に励んで行きたいと思います。


と、いうわけで、明日からまた軽い節約家族日記を綴っていきます。


突然の重い内部事情を読んでくださった皆様、ありがとうございました。

【毒親】は特別な存在ではありません。

お互いに自覚がなくても、親子関係に難しさや生きづらさを感じているなら、親が【毒親】となっている、また自分がなっているかもしれない、一寸先は闇みたいなものではないかと感じています。

私もこどもたちにそう思われないよう自立した親でいられるよう、頑張りたいです。