こんばんは

今日はまた一転、暑い!!

でも、風は秋の風ですね。爽やか〜〜

このまま運動会までぜひ…!(週末雨予報)



〜今日は重い話です。節約話でもないので、軽い感じをお楽しみ頂いている方は、読まない方がいいかもしれません〜


先日の連休に、母が引っ越しました。

このブログを始めた頃、「自己紹介」というエントリーの中に


私(toa)…アラフォー転勤族の妻。今は専業主婦で日々の流れについていけてない。
夫 …  アラフォー転勤族。ビックリするくらい世間に疎い。
娘 …  小学生。マイペースでほぼ自分の世界で生きている。
息子…  園児。甘えん坊で極度の怖がり。
母 …  toaの実母。要介護アリ。


と、載せていました。


その母が、家を出ていきました。


多分これまでのブログの中に「母」は出てこなかったと思います。


一言で言えば、母は「依存症。自分が1番」。


簡単に今までの略歴?を書き出すと…


私(一人っ子)は両親と3人家族。
私が生まれた頃には両親の仲はすでに崩壊、お互いに悪口だけを言い合う形だけの家族でした。

ただ、私自身は他の家族を知らなかったので、そんなもんだと思いつつも、居心地の悪い家で、小学校高学年頃からほぼ自室にこもっていました。

ある時、父の勤めていた会社が倒産、翌年母は難病を患います。

社会人になり家を出たあと、両親は別居(母が実家へ)→離婚。

母は祖母と暮らしていましたが、祖母が施設に入る時に実家を売却。そのお金で祖母は施設へ、母は姉弟に施設の近くにアパートを借りてもらい、一人暮らし。

その間に私は結婚、晴れて転勤族に

娘が産まれ母どころではない日々でしたが、ある時
「(病気が悪化して)一人で暮らせない。そっちに行く」

次の転勤のタイミングで同居がスタートしました。
宿舎は間取り上無理だったので、賃貸マンションを借りました。

ここから、徐々に私の「違和感」が大きくなりつつ数年が過ぎ、昨年の転勤で引っ越し。

「そんな不便な(立地、設備)住めない」
等、自分の要望ばかり。

できるだけ通院しやすいよう、物件を選びましたが、母の要望通りだと給料の半分、飛んでいきます。それはムリ。

なかなかコレというところもなく、こどもの通学も考慮した結果、少々予算オーバーでしたが、今の団地に決定。

しかし、住んでからも母の文句は止まりません。

そんなに嫌なら住まなくてもいいのに。

でも、どこにいても文句ばかり。
前の家でも、その前にいたアパートのおる自治体の方が良かったとか、何か言うことに絶対文句から始まります。

家のこと、病院、自治体の対応。
全てマイナス思考。
でも、何一つ自分の力でやったものではない。
家族、親族に頼り切ってる結果、自分の思い通りに行かない。

限りないマイナスオーラに、聞くだけでも疲れてしまい、話すのが嫌になりました。


そして、このブログを始めた3月、私の中にとてつもなくドロドロしたドス黒いものができていました。

きっかけは、【毒親】という言葉(概念)との出会いでした。



長くなりそうなので、続きます。。。